自己犠牲なんてクソなのか(1/4)

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自己犠牲とは

ウィキペディアによると

自己犠牲(じこぎせい、self-sacrifice)とは、他者のために、自己の時間や労力や生命をささげること。

と少々狭義に思う、大辞林では

自分を犠牲にして他のために尽くすこと。

どっちにしてもクソっぽいかな、ちなみに英訳のsacrificeは

sacrificeとは。意味や和訳。1 他〈動物などを〉いけにえにする,(神に)捧げる;自(神に)捧げ物をする≪to≫2 他〈価値あるものを〉(利益・大義などのために)捧げる,犠牲にする≪for≫,(…するために)手放す,断念する≪to do≫sacrifice a principle for a temporary ...

…を(…のために)犠牲にする,なげうつ,断念する,ささげる

やはりクソなのかもしれない

また、ウィキペディアでは

キリスト教では約2000年前、イエス・キリストが人類の罪を身代わりに受けるために十字架に架かった、とし、自己犠牲は愛だとされている。

キリスト教に限らず「自己犠牲は愛」だなんてことはよくあるけれど

自己犠牲は愛

ウィキペディアでは自己犠牲をテーマにした映画を紹介していて、たまたま見た映画が多い

コンスタンティン

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キアヌ・リーブスが世界を救うため自殺して悪魔ルシファーを呼び出すってやつで、結果その自己犠牲が評価され天国へ連れて行かれそうになるやつだ

愛って言うよりガブリエルに超ムカついたからじゃね、それともレイチェル・ワイズに惚れてたからやはり愛なのかな、違う気もする

7つの贈り物

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ウィル・スミスが自分の臓器をばらまいて善良な人たちを救う、とかいう提供「臓器提供推進委員会」のホラー映画だ

いかにもそれっぽい映画だったような気もするけれど、愛なんてあったの?

グラン・トリノ

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クリント・イーストウッドがいつもの良い味出した、なかなかいい話

自分が殺されることで相手ギャングに長期刑を食わせるという、自分の命を犠牲にした老獪な作戦をそれこそ老獪に成功させるという、まさにオヤジの愛ってとこなのかな

一度は力でねじ伏せようとしたが「それでは問題が解決しない」ことは悟る当たりもちょっと格好良すぎだろうし、最高の死に方を見つけ迷いなく実行するなんていうのは愛というより武士道のような精神による自己犠牲だろう、それとも武士道は愛なのかな

奇跡の海

これは見ていないから知らない、きっと愛なのだろう

自己犠牲というとまず母親が自分の命を投げ出して子供を守ったなんていう美談は多く、また、それは「種の保存」のための本能なんて説もあるけれど、やはり母の愛だろう

子供は自己

多くの母親にとって自分の子供は永遠に「他者」ではなく「自己」そものもなのだろうから、子供に対して自分を犠牲にする行為は自己愛だとも言える、「自己犠牲を伴う自己愛」なんてのが母の愛なのかも

たとえそれが自己愛でも自己犠牲を伴う無償の愛なのだから、それを享受するものは素直に感謝して受け取るべきだろうけれど、時にそれが素直に受け入れることが出来ないわずらわしいものだったりするのは、それが自己愛だからで、さらに無自覚なのだから困るっちゃ困る

自己犠牲もウィキペディアによれば

心理学では、自己犠牲は必ずしも他者のためにのみ行われる行為ではない、とすることがある。自己犠牲には他人のために犠牲になっている自分が愛おしいというナルシスティックな自己満足=自己陶酔という側面がある、とする。

なんていうこともあるから、第三者から見れば「単に醜いだけのもの」なんてことはよくある

もっとも仮にこんなことに納得したとしても、ほとんどの母親は無自覚だろうから何を言っても無駄、特に自分の母親に改善を求め論破しようなんてことは考えない方が良い

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